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今週のザ・プリンセス雅子妃物語レポ。学習院で浮かべた涙。

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なんと、なんと!
来週は涙!涙!!の最終回でございます。
体調の波も雅子さま的には続いているご様子ですし、
週刊誌でもネットでも批判が続くと思われ、
それにはやはり他罰物語風での言い訳対応が必要でしょうから、
まだまだ続くと思っていただけに、びっくりですわ~。

まさかのお買い上げ資金枯渇!?と思ったんですけど、
この時期には代替わりが終わっていると踏んで契約していた、カンキリの読み間違えとも言われたりしてます。
ま、どっちにしろ、終わっちゃいますから~。


ザ・プリンセス、雅子妃物語/第78回-学習院で浮かべた涙
   ◆ ジャーナリスト・友納尚子/雅子妃、式年遷宮、被災地

週刊文春(2014/03/27), 頁:38

↓以下、レポ転載させて頂きます。---------------------------
894 名前:可愛い奥様@避難所生活[sage] 投稿日:2014/03/19(水) 07:59:29 ID:99999999
今週のザ・プリンセス雅子妃物語レポ
(今、ちょっと嬉しさでうちふるえています。なぜなら次号が最終回だそうですからwwwwwwww)
レポする前に、今週の新潮と文春さん(プリババ記事除く)GJ!でした。特に新潮。渾身の記事です。是非手に取ってご一読を。

伊勢神宮の式年遷宮が2013年10月2日に執り行われた。
東宮御所では皇太子はモーニング、雅子妃はロングドレスの御長服。
お揃いで神宮の方に向かってご遥拝になった。20年ぶりの式年遷宮の祭祀に臨まれた。

ご成婚された1993年以来の事で両殿下にとっては感慨深い祈りだったことだろう。
2013年は雅子妃にとって、オランダ国王の即位式と東北三県の被災地と訪問なさるという大きな目標があった。
この目標を達成されただけでなく、八代行啓や壇上でのスピーチ(??原文ママ)、
お茶会といったそれまで欠席が続いた公務などにもお出ましになっていたのだ。

すでに即位式では成功を収められて(原文ママw)、8月、9月と連続で被災地への訪問を終えたばかり。次は泊まりがけで岩手県へ行くという大きな目標が雅子妃にあった。
そのために、8月23日から2週間近く那須御用邸でご静養を取られ、お気持ちを整え、体力を温存したりしてこられました。
(原文ママwwww(その成果が実り、9月27日の『第20回記念式典』には10年ぶりに急遽お出ましになり、壇上で挨拶をなさったのです(原文ママ)。」
(元東宮関係者)

10月20日、皇太子ご夫妻は調布市の味の素スタジアムで開催された「スポーツ祭東京2013」にご臨席。
雅子妃は10年ぶりに八大行啓に参加された。雅子妃が鮮やかな色のお召し物を着たのは久しぶり。
ご療養に入られてからは茶か黒など地味な色が多く、新調されずに袖丈などを直して気マワシされていた。
会場からは「雅子様は華やかな色の方がお似合いになるみたい」という声が上がったほど。
壇上に向かう笑顔の雅子妃からは想像もできないだろうが、一つの公務に出るためのお気持ちの準備や、前後の日程の調整などを、時間をかけて行ってきていた。
実はこの公務にご出席できるかどうかの判断はぎりぎりまでつかなかったという。

10月4日の小町大夫の会見。
「大きなスタジアムで長時間にわたるものについてはまだまだ無理という医師の判断のもと、翌日の容疑をご体調が許せばご覧頂くことも考えております」
翌日も同大会の競技をご覧になるため東京体育館へお出まし。試合後には大会のボランティアと懇談。
「手話が出来る人は何人くらいいますか」とご質問。
以前は一つの公務が終わるとお疲れが出てしばらく次の公務が出来ないということがほとんどだったが2日連続で公務をなさったことから回復のスピードが上がっている様子が。

5日後皇太子とご一緒に都内のホテルで開かれた環境問題に関する国際会議の開会式にご臨席。雅子妃のご回復が確実に感じられていることに、皇后陛下も次のように文書でつづられている。
>皇太子妃がオランダ訪問を果たし元気に帰国したことは本当に喜ばしいことでした。
>その後も皇太子とともに被災地を訪問したり式典に出席すること、良い状態が続いていることを嬉しく思います。
雅子妃は皇后陛下が誕生日の文書の中でご自分のことや愛子さまのことに触れていただけるだけで、感謝の気持ちをもたれたという。
こうした皇室の中での支えもご回復に繋がっていたのかもしれない。

だが10月31日の園遊会はご欠席。出席できるのではないかと期待するのは時期尚早だった。
翌日、皇太子夫妻は岩手県に向かわれた。東京駅では人通りの少ない入り口を選んで東北新幹線に乗車。
到着した雅子妃は疲れた様子もなく沿道に集まった1800人の市民に手を振られた。
実はここは両殿下がご成婚された年に初めて地方公務で訪れた地であった。2日目、釜石市に移動され、午後から釜石市の最大仮設住宅を訪れた。
「当初の予定では二列に並んだ方々の前列にだけ声をかける予定だったがご夫妻は後ろに立っていた人にも声をかけられた。
分け隔てなく全員を気にかけていらっしゃるという姿勢で、皆とても喜んでいましたよ。(宮内記者)
「実際の雅子さまにお会いしてみると、本当におやさしい方だということが良くわかります。(当日話した女性)」
その後はサポートセンターで復興への取り組みの説明を受けて次の訪問先へ移動される予定だったのだが、皇太子夫妻はすぐに車に乗られることはなく砂利道を歩いて人だかりに近づかれた。
お年寄りに微笑んで「ありがとうございました。お会いできてよかった」といい、幼い姉妹にやさしく「何年生?」と声をかけられた。
こうした予定外の行動は皇太子のご公務中にもよく見られることだった。時間は延長してしまうが、それだけ国民と直接かかわりたいという思いがそこにはあったのだ(原文ママ)。次の水産工場では白衣を着られた両殿下。
こうして皇太子ご夫妻は東北三県への慰問を勤められた。
ご夫妻が釜石関係者に語った言葉「大切なのは(被災地の慰問を)続けていくことです。」
その日の帰京は夜の10時を過ぎていた。
11月5日、両陛下は文化勲章受章者と文化功労者のためにお茶会を開かれた。
お茶会といってもフランス料理を食べながらの懇談会。食事をされながら懇談をするという緊張を伴うものだった。
雅子妃はご病気の性質からお疲れになるため、お茶会を欠席することが何年も続いていたが、この日は間際になって御出席されることになった。

12月9日、雅子妃50歳のお誕生日。その日の夜は東宮御所では両陛下、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さんを夕食会にお招きする予定。
しかし、この日の夜にマンデラ元大統領の追悼式に出席するため、日本を発たれたので中止になることが予測されたが、雅子妃がお一人でホステス役を務められて、祝宴は予定通り開催されることとなった。雅子妃にとって、皇太子が不在でも両陛下に来ていただけるというのは喜びであったのだ。

2014年3月18日、愛子内親王が学習院初等科をご卒業された。両殿下にとって愛子さまのご成長は、なによりの喜びであったことだろう。
前年10月12日は、愛子様の初等科最後の運動会であった。
長い髪を後ろで束ねられた愛子さま。ぐんと背が伸び、午前中の最初の種目の障害物競走では他を寄せ付けない速さで一位
続いてのムカデ競走は他の組のヒモが切れていたためやり直しに。結果最下位となってしまい、悔しさを噛みしめながらも皆で励まし合う光景が見られたという(原文…ママですwwwwww)。
この日の午前中、皇太子ご夫妻は全国障害者スポーツ大会にご臨席となり、愛子さまのそんな場面をご覧になることは出来なかった。
しかし午後二時から運動会に駆けつけ、本部のテントから愛子さまの最後の種目の組体操を観戦なさった。
見事な7段のピラミッドの完成に雅子妃は万感極まって目にうっすらと涙を浮かべられた。他の母親たちも泣いていた。
雅子妃はカメラを意識されたのかすぐに笑顔を浮かべ、はにかまれた。
愛子さまのご卒業を感慨深く見つめる人がいた。元東宮職侍従、野本勲さん。
「ご卒業おめでとうございます。一口にご卒業といいましても感慨深いものがこみ上げてきます。宮さまの学校問題では苦しいこともおありだったと思いますが、振り返ってみれば人生の糧で、そうしたご経験はいつかきっと役立つ時が来るのではないかと思っています。これからも陰ながら宮さまのご成長を見守らせていただきたいと思います」
愛子さまのご卒業に向けて、雅子妃は学校や親の集まりに積極的に出かけられたという。
雅子妃は愛子さまが内親王であったことから周囲の対応に悩まれ、今度は愛子さまの存在によってご回復されている面もあるという。
迎えられた卒業式では愛子さまのご成長と共に、これまでの人生を振り返られたことだろう。
(第二部了、だそうです)次号完結(やった!)。
誤字脱字、打ち間違いご容赦ください。というか、次号完結って文字を読んだ効果か、嬉しくてテンション上がっていつもの半分の時間で全文レポできましたw
やはり、この駄文のレポを週に1回早朝にやらなきゃいけないという行為は、私にとっては地味に心の「負担」だったんですね。
来週最後なんで気合い入れて、さくさくレポやり終えて(さらにレポのスピード上がると思います。)朝8時前には全文アップするつもりです。よろしくです。
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レポ奥様、毎週ありがとうございます<(_ _)>
私も買ったんですけどね~。
レポは無理ですわ、読むのもきっついです。
こう、いちいち、イライラッと来るんですわ・・・。
それに、今週もいきなり突っ込みましたもん。

伊勢神宮の式年遷宮の時に、これ↓
>東宮御所では皇太子はモーニング、雅子妃はロングドレスの御長服。
>お揃いで神宮の方に向かってご遥拝になった。20年ぶりの式年遷宮の祭祀に臨まれた。
>ご成婚された1993年以来の事で両殿下にとっては感慨深い祈りだったことだろう。

はあぁぁぁ~~~???
ほんとに祭祀に臨んだんでしょうかねぇ~。
「祭祀は大事で、一つに出て他に出ないというわけにはいかないから」
な~んて言って、宮中祭祀には出られないと東宮職が言ってます。
雅子さまが本当にロングドレスで祈られたなんて、ねぇ。
し・か・も。同じ号の週刊文春の記事で、です。
ちなみに、この内容の記事は、
「今週のバカ・キャロライン・ケネディは何をしにきたのか?」を間に挟んで、
「ザ・プリンセス雅子妃物語」の前に書かれているものです。

記事の内容はこれ。 

・雅子さまが宮中祭祀に出られない理由について
・東宮職は、祭祀は大事だから、一つに出て他に出ないというわけにはいかないからだと述べたことがある。
・それなら全ての国を同様に扱わないと不公平になる点で、外国ご訪問や外国からの賓客の接遇も同じ。
(ベテラン宮内庁担当記者)

>ご夫妻が釜石関係者に語った言葉「大切なのは(被災地の慰問を)続けていくことです。」
はぁ・・・。また、被災地利用ですよ。
被災地へ行って、あれだけ顰蹙を買うことばっかりしておきながら、この発言ですわ。(呆)

>泊まりがけで岩手県へ行くという大きな目標
泊まりがけって、あ~た、縁戚の盛岡出身の山屋他人の関係者と会うためだったんでしょ。
しかも、グルメな雅子さまだけあって、
「しゃぶしゃぶ今回はおかわりなしで、ステーキを別注文、栗のデザートはおかわり」 されたんでした。
(以前のエントリ⇒皇太子ご夫妻、岩手ご訪問で報道されなかった時間。皇太子ご夫妻の岩手訪問。


雅子さまって、すごいわぁ~!!
・・・と思って読む国民がいると妄想しての連載だったかもしれませんが、
トモノー氏の暴露やらがある以外は意味があったとは思えません。
何たって、荒らしでさえも、突っ込んでましたから(笑)
あ~だ、こ~だと、もうねぇ・・・。(困惑)
私が書いたんちゃうのに、どうせぇっちゅうねんっ。


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by Lisa_cerise | 2014-03-20 23:00 | 東宮家。雅子さま。

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