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今週のザ・プリンセス雅子妃物語レポ。オランダ訪問「早く返事を」の謎。

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今回のは、3月上旬にはオランダ訪問の返事をしなければいけないのに、
保留したまま、3月下旬にスキーご静養に出かけた挙句、
4月中旬になっても体調がどうのこうのと保留していた時のことですね。

ザ・プリンセス、雅子妃物語/オランダ訪問「早く返事を」の謎
   ◆ ジャーナリスト・友納尚子/宮内庁、雅子妃、オランダ

週刊文春(2014/03/13), 頁:40

↓以下、レポ転載させて頂きます。---------------------------
648 名前:可愛い奥様@避難所生活[sage] 投稿日:2014/03/06(木) 08:07:52 ID:99999999
今週のザ・プリンセス雅子妃物語 レポ
雅子妃はオランダ即位式ご出席に向けてお気持ちと体調を整えるなど準備をされていた。
マキシマ妃からも雅子妃に招待の電話もあったため。
東宮御所で大野医師による雅子妃殿下のカウンセリングが続いていた。
正式にオランダから招待状が届いたのは4月1日。
最終的にオランダ行きが決まるのは政府の閣議で了承が得られてから。
閣議が行われるのは4月19日。その2日前には宮内庁に報告する事が決まっていた。
大野医師は17日の直前まで雅子妃のご体調をみることにした。
その方針は小町大夫から宮内庁側に伝えられたはずであった。
(以下原文ママで行きます)
ところが、おかしな事が起こる。
4月11日風岡長官は記者会見で「オランダ側への回答期限もお大幅に過ぎ、一刻も早くお決めいただく必要がある。即位式も迫っており、オランダ側の準備や閣議の手続きが必要である」
と述べたのである。(ここまで)。
すでに宮内庁の次長の会見でも同様の発言が。宮内庁幹部の相次ぐ発言。政府からは不安が寄せられた。
(閣議決定までにはたして皇太子ご夫妻のご意志が決まるのかと。)

東宮御所事務棟。東宮職は頭をひねっていた(原文ママ)。
中には度重なる宮内庁側の諌言に「待てないようですね」と苦笑する人まで。
東宮関係者(←www)「オランダ側からは雅子妃のご体調を優先してもらって時間がかかっても構わないと言われていたのに。宮内庁も両殿下のご出席を前提に准儀をしながら意思の判断をギリギリの17日に出すという事は知っていたはず」
この“苦言”に何の意味があったのだろう。慣例として海外訪問は政府や関係者などの準備は膨大なものとなる。
閣議決定はご出発の半年から数ヶ月、遅くても1ヶ月前までに行われる。決定後に詳細日程を外務省が決めたり政府専用気の確保に防衛省が動いたりして本格作業に入るのだ。相手国の準備を考えると確かに返事は早い方がいいだろう。
今回の訪問は長官と次長によれば外交ルートに夜回答期限は「3月上旬」。しかし、雅子妃が療養中である事から特別ケースとして解答が遅くなる事はオランダ側から了承を得ていた。事前の準備といっても皇太子のご出席は決まっていたため警備の大幅な変更はないし、雅子妃はオランダで即位式とレセプション以外の予定は入れなかった。移動は即位式が行われる教会と隣接して歩いていける王宮、滞在するホテルの間だけ。
(以下原文ママでいきます!)
このような事からすると、オランダ新国王夫妻と皇太子夫妻の直接のやり取りに触れなかった長官の「苦言」は不可解だった。
いわば「杞憂」だったのである。マスコミに注目され、興奮させるだけだった。
(ここまで…)
案の定翌日の新聞に記事が並ぶ。雅子妃はオランダ行きのためにご体調を整えていた最中にこうした発言が行われてしまった。東宮職は雅子妃のお気持ちの妨げにならない事を望んだ。こんな中、雅子妃はご病気と向き合わなければならなかった。

適応障害の患者(←匿名)「精神疾患患者の体調の整え方というのはそう簡単な事ではない。
抑うつ的な気分になると暗雲が広がって襲って来るような恐怖を感じる。
精神的に落ち着こうと無理矢理楽しい事を考えたり、行動したりしながら心臓が高鳴るのを押さえようとする。
調子がいいと気はすぐ落ち着くのですが、気分が底に沈むと悪い事ばかり考えて、何日も辛い日が続く。
自分ニッッて大切な大きな予定があるときはそれに備えて何日も前から心の準備をするが予測のつかない暗雲が襲って来るときもある。そんな病気と闘っているときに周囲から責め立てる言動をされるとパニック状態になることもある」

雅子妃はお体の自信が持てず、最後の一歩が踏み切れない。雅子妃がオランダ行きをご無理をされてまでも希望されたのは海外に行きたいなどといった短絡的な考え方からではない。

両陛下は今回退位する75歳のベアトリクス女王と20代の頃から親交を深められ、2000年のご訪問では戦没者慰霊碑に供花。抑留者の経験に聞き入られた。
こうした積み重ねが日蘭の関係を有効にした基盤があったので2006年オランダ側の招待で雅子妃のご静養が実現した。皇太子もヨーロッパ王族と交流が深かった。
こうした事を雅子妃は充分に理解されていたからこそ、即位式にはご出席されたかったのだった。
17日、大野医師の助言を受け、皇太子ご夫妻揃ってのオランダ行きが決まった。皇太子は小町大夫に電話をかけた。
「2人で訪問するという事で準備をしてください」と正式に告げられたのであった。
19日には政府の閣議で正式了承。それ以降も東宮職は「まだ解りませんよ。予定変更の可能性は否定できません」と慎重な姿勢。東宮職は雅子妃のご負担を避けたいため海外訪問の前に行われていた東宮御所の撮影を見合わせる。また、宮中三殿での参拝についても雅子妃は見送られたのだった。最新の配慮で準備が進められた。

4月28日。午後、両殿下と6日間も離ればなれになる愛子さま。何度も振り返られるご両親とは対照的に、
手を振られると振り返る事なく東宮御所内に戻られたのだった。
午後2時50分。羽田空港に到着された雅子妃。白いツーピース姿。決して顔色が良いとは言えなかった。
政府専用気のタラップをご夫妻はゆっくりと登られてオランダにご出発。12時間の渡航を経てアムステルダムのスキポール空港に到着。気温は日本よりも低く肌寒い。皇太子は専用機のタラップを降りられる前に雅子妃を気遣われ斜め後ろを向かれ「大丈夫ですか」と声をかける。

雅子妃は空港で待機する日本の報道陣にも気を配られた。前を向かれていた皇太子に声をかけてお二人で手を振られた。
今回の皇太子ご夫妻の訪問については現地でも関心が高かった。翌日、王宮の脇にある新教会の前で皇太子とアイボリーのアフタヌーンドレス姿の雅子妃が最終グループの車から降りられた。
お二人の姿を確認した群衆からは「マサコ!」と大きな歓声が上がるご夫妻が会場に入られる。席は英国のチャールズ皇太子夫妻と同じ最前列。オランダ側の配慮が。

(ここからおもしろいので、原文ママで行きます)
雅子妃は、すでに着席されていた各国の王族たちと控えめに握手をされたり、懇談をされたりしながら式の開始を待っていた。
(ここまで)
間もなく式が始まった。即位式をつつがなく終えられた雅子妃は皇太子とレセプション会場となるとなりのアムステルダム王宮へ。
記念撮影の後はベアトリクス元女王と新国王夫妻に挨拶をされて、約30分懇談をなさったという。
こうして、雅子妃は予定された公務を最後まで果たされたのであった。

ごめんなさい。一気にレポできませんでした。
友脳さんには申し訳ないが言う。酷い文章。矛盾だらけ。酷すぎ。目が滑るというかもう…「目が腐る」。
わたしはたまに女性誌のレポも落としてますが、この連載のレポだけはまさに苦行。


翌日、皇太子はアレキサンダー新国王夫妻が主催した朝食会にも出席。各国との王族と話は弾み、ホテルに戻られたときには昼過ぎだった。
即位式後ホテル付近で待機していた報道陣は日本人だけであった。
午後二時、皇太子は在留邦人との懇談会に臨まれた。雅子妃はご帰国までご体調を整えるために予定通り休養された。
しかし懇談会が終わるとその中に出席していた顔見知りの女性2人が私的に別室に呼ばれた。雅子妃の外務省の先輩で国際慶事裁判所の判事、尾崎久仁子さんとハープ奏者の長澤真澄さん。
当時、長澤さんは筆者の取材に雅子妃のようすを次のように語った。
「雅子さまは紺色のスーツをお召しに。懇談は20分くらい。先日学校のコンサートで殿下と愛子様がご一緒に演奏された事をとても嬉しそうにお話しされていました。また即位式に出席された新国王夫妻のプリンセスがまだお小さいのに大人しく最後までご立派に務められた事も感激しておられました」

(次から原文ママでいきます)
雅子妃のご体調を考えると「顔見知りの女性」と会われたのは緊張を伴わなかったからだった
在留邦人の女性は「私たちは『えこひいき』をされたなどとは思っておりませんし、雅子さまがお会いしたいと意欲を示された事の方が大切ではないでしょうか」と語った。
(ここまで)
同日夕方、ご両親の恒さんと優美子さんがホテルを訪ねてきた。やはり部屋を出る事なく、両殿下はお茶を飲んで3時間半を過ごされた。結局、雅子妃はアムステルダムに四泊した。
しかし、即位式などホテル以外で過ごされたのはわずか5時間程度。ほとんどホテルに籠った状態だった
のだ。
「お食事の多くはホテル内のルームサービスで和食を召し上がられていた。外出も公務以外はホテルのレストランに続く小さな庭を早朝に少し歩かれただけだったといいます。大きく息を吸われて深呼吸をなさっていたお姿がおいたわしかったそうです」(ホテル関係者)
現地の新聞フォルクスクラント紙(5月2日)「他の賓客が晩餐会やパーティーで楽しんでいるときに“籠の蝶”はホテルの部屋にいた」

しばしばマスコミに外国に行きたがると書かれる雅子妃だが、このようにホテルから出ない日程を見れば外国を楽しもうとしているわけではない事ははっきりとしている。
状況を素直に受け取れば雅子妃の願いが、親交の深いオランダ王室の重要な儀式に皇太子妃として出席するという一点に尽きている事がわかる。(原文ママ)
だが、雅子妃にとって、このオランダ公式訪問は、安堵と達成感に満ちあふれたものだったという。(原文ママ)
東宮職の一人「実は即位式の時にご体調が心配されたときもあったが雅子妃の成し遂げられようとなさるお気持ちがとても強かった。とてもご立派で敬服いたしました(←ほとんど原文ママ)
5月2日午後、皇太子ご夫妻はオランダから日本に帰国されるため空港に到着。雅子妃のご表情は明るい笑顔。機内では帰国のときに読んで欲しいと約束された愛子さまからの“お守り”の手紙を何度も読み返されたといわれた。

今週は、これで終わりです。誤字脱字、打ち間違い、変換ミス、ご容赦ください~~~

今週もレポ途中で何度も挫折しそうになりました…。
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毎週、UPして下さるレポ主に感謝しております<(_ _)>
大変な苦行のレポですが、原文ではなくレポを読むだけでため息が出ますわ。

2013年1月~5月 オランダ訪問前後の小和田家・東宮家動静表。

>即位式などホテル以外で過ごされたのはわずか5時間程度。ほとんどホテルに籠った状態だった
>しばしばマスコミに外国に行きたがると書かれる雅子妃だが、このようにホテルから出ない日程を見れば外国を楽しもうとしているわけではない事ははっきりとしている。
政府専用機でオランダまで行って、これじゃあ、もったいないですよねぇ。
そんなにも大変な思いをしてまで、オランダへ行かなくてもよろしかったのに、
と、ついつい思ってしまったんですけど・・・。

>状況を素直に受け取れば雅子妃の願いが、親交の深いオランダ王室の重要な儀式に皇太子妃として出席するという一点に尽きている事がわかる
素直に受け取るも何も、あれじゃあねぇ・・・。
皇太子妃として重要な儀式の数々を欠席しておいてよくもまぁ・・・。(呆)


↓レポ奥様による、スルドイ目線からの検証も転載させて頂きます。---------------------------
653 名前:可愛い奥様@避難所生活[sage] 投稿日:2014/03/06(木) 08:30:41 ID:99999999 [6/6]
これと↓
皇太子殿下
雅子にとって,一つの公務をする場合には周囲の期待もありますので,それに全力を傾けることになります。
お医者様からはほかの活動もいろいろとしたらよいと言われていますが,その場合には,それらの活動を,
言ってみれば,犠牲にすることにもなります。また,日数をかけて準備をすることになります。公務の後で疲れが残ることにもなります。
したがって,新しく一つの公務ができたからということで,またすぐに次の公務を期待するというのは,
本人を精神的に追い詰めることにもなるので避けてほしいとお医者様から伺っております。
これ↓
適応障害の患者(←匿名)
「精神疾患患者の体調の整え方というのはそう簡単な事ではない。
抑うつ的な気分になると暗雲が広がって襲って来るような恐怖を感じる。
精神的に落ち着こうと無理矢理楽しい事を考えたり、行動したりしながら心臓が高鳴るのを押さえようとする。
調子がいいと気はすぐ落ち着くのですが、気分が底に沈むと悪い事ばかり考えて、何日も辛い日が続く。
自分にとって大切な大きな予定があるときはそれに備えて何日も前から心の準備をするが
予測のつかない暗雲が襲って来るときもある。そんな病気と闘っているときに周囲から責め立てる言動をされるとパニック状態になることもある」

似てませんか?プリババ連載と皇太子の誕生日会見の原稿考える人って一緒ですよね。
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今回、プリババ(プリンセス雅子妃物語)に登場した適応障害の患者(←匿名)は、
雅子さま本人という香りがするということですよね・・・。



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by Lisa_cerise | 2014-03-08 23:06 | 東宮家。雅子さま。

日本人の心を大切に          ・・・Lisa


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